



「母の日なのに、ポケモンセンターや歴史講演に行くなんて、親不孝者だ」?
いやいやいや、そんなことないですよ、皆さん。
どのみち今日は、「母が午後までパートの仕事」&「実は1週間前に母が37度近くの熱を出してダウンして、まだ一緒に外出や外食ができる体調じゃなかった」ので。
ちゃんと帰りにデザート買いましたし。
●ロバート・オウエンさん「労働者をきちんと保護しない国は、良い国とは言えませんよ?…え?
良い国作ろう鎌倉幕府?…それはコレと関係ないけど、大事なことですね☆」
(=v=)
※この回は間違いなく、我らが歴史教師・黒田裕樹先生の歴史講座「日本外交史 その壱」(5/14東京講演)の、ネタバレしてんのかどうか微妙な感想文です。
※今回は東京講演が先で、大阪講演が後のため、ネタバレ度低めの感想文です。ご了承下さいませ。

日本人なら皆わかっていると思いますが、
聖徳太子は「皇子」です。
推古天皇陛下が生きている内に亡くなっているので、トップの「天皇」にはなれていません。
「王(天皇)」と「王子(皇子)」は違います!
社長の座になったことがない部長・課長を「●●社長」って呼んでいるようなものです!
つまり、「聖徳太子=厩戸皇子」が正しい表記です!
だから「厩戸王」という表記事態が、ウルトラスーパー100%神様もビックリおったまげ天地ひっくり返るくらいの大馬鹿間違いなんです!こんな、ちょっとネットで検索して調べれば子供でもすぐにわかることを、平成29年(2007年)2月14日時期の日本の文部科学省の人間はわかっておらず、「聖徳太子いなかった説があるから~…」という理由だけで
聖徳太子さんを日本の教科書から抹殺しようとしたのです!
学問の専門家であるはずの文部科学省の人間が!
日本のお札の絵にもなったくらい有名な!
小学校レベルで学ぶ人物を!
「こんなヤツいなかったから、教科書から消そう」って認めようとしたんですよ!?あと、ハッキリいってこの行動、教育の現場で働く者達のこと、何にも考えていません!
「名称を変える」ということは、それまで教育の現場で使ってきた資料やプリントといった物を廃棄して、1から全部新しく作り直さなくてはならない…ということ!
これが、教育現場で働く人々に、どれだけの苦労をかけることか…!
案の条、国民意見を集めた「パブリックコメント」には、反対・批判的な意見が多数!
これだけでも、いかに、平成29年(2007年)2月14日時期の日本の文部科学省の人間が、国民の意志や考えを無視した教育を子供達に教えようとしたかが一目瞭然!
…日本の皆さんには、このときの件がどれだけ恐ろしいことだったのか、もっと危機感を持ってほしいのです。
●高校の教科書「すまん。オレは無理そうだわ。」
大和朝廷「なんでオレの名前、高校だとヤマト政権なんだよ?宇宙戦艦じゃねぇわ。イスカンダルとか知らねぇわ、ボケ。」
任那(みまな)「加羅ってなんですか?当時、日本と関係が深かったのは、弁韓の任那なんですが?アイドルグループと同じ名称だから覚えやすい、とか、そんな理由だったら殴りますよ?」
●皆、不思議に思わないんだけどさ。
2世紀頃の日本の名称や人名に、何で「倭」「卑」「邪」みたいなマイナスイメージな漢字が多いか知ってる?
コレ、「当時のチャイナの人が、日本を劣っている国として見て、記録に残しているから」なんだよ?
後世の日本人が付けた名称じゃないんだよ。
当時のチャイナの記録に載っている、当て字による日本の部分の資料を、そのまま改訂せずに使っている」んだよ。
要するに「卑弥呼」って悪口で付けられたアダ名みたいなモノなのよ。
私としては「邪馬台国の場所はどこだぁ!?」とかよりも、「文献や資料が少ないために、自分の国の偉人や出来事を、自虐名で学ばなければならない屈辱」を真面目に議論した方が良いと思うの。

※2012年9/16にPixiv投稿した絵を見て思うが…私…本当に画力変わんないなぁ。まあ、それが良い意味で「私の絵」の証明になるんだけど。
●今回の講演を聞いて、ふと思ったのですが…。
隋の皇帝・煬帝さんって、めちゃくちゃ怖い暴君って伝えられてるじゃん?
名前の漢字が「陽」とかじゃなくて「煬」だし。
…これはさ、日本人特有の「お人好し精神」とか、私の「悪人・独裁者大好き趣味のせい」かもしれないんだけどさ。
本当はさ、
煬帝さんってそこまでヤバ怖い暴君ではなかったのではないかな…という見解が生まれちゃったんですよね。
さっきも書いた通り、チャイナは「中華思想」によって「中華民族以外は劣っている民族」って考えを持ってる訳じゃん?
でもさ、煬帝さんは認めちゃったんだよね。
当時の日本と
「対等外交をする」ことを認めちゃったんだよね。
これにはさ、「当時の隋は、島国の日本を攻める余裕も、日本と同盟関係にある高句麗・百済も敵に回す余裕もない」という、どうしようもない状況から「認めざるを得なかった」って部分もあるけどさ…認めちゃったんだよね。
煬帝さんはさ、
「頭の良い君主」だったから、聖徳太子さんの手紙を見て、そういうことまですぐに理解できちゃったんだろうね。
だから「無礼だ!ふざけるなぁ!」ってその場で激怒した訳だよね。
…これさ、いくら煬帝さんが「凄い権力を持ったヤバ怖い暴君」だからっていってもさ、国民や周囲の者が全く反感持たない訳ないよね?
だってチャイナだよ?何かあるとすぐに内乱が起こるチャイナだよ?日本人みたいな呑気民族じゃないんだよ?
本人の前では顔に出さなくても、絶対に「あんな小さな島国の倭国なんかと対等な外交しやがってぇ…」とか思ってるでしょ。
…ほら。歴史の中では、よくあるじゃない。
気に食わない人間や敵国の人間のことは、必要以上に悪くどうしようもない人物だったとして記録に残すっていうの。
だからさ、煬帝さんって本当は「私怨とかによって、必要以上に悪行を盛られた、ちょっと怖いレベルの名君」だったんじゃないのかな…とか思っちゃったんですよ。
…まあ、その辺は今回の講演とは無関係で、煬帝さん関連を掘り下げたかったらチャイナ関連の書籍を読み漁って、考察を深めるしかないのですが…ね。
…あ~…5年ぶりに煬帝さん描こうかな。
聖徳太子さんも、周囲への警告も交えて、絵ぇ描きたいし。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術