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元寇の原稿…とか言うなよ!?

元寇
素朴な疑問なんだけど、中国って「反日」はあっても「反英」はないの?
アヘン戦争とか、アロー号事件とか、香港植民地化とか…。
日本同様、「難癖」つけててもおかしくないじゃん?
だってさ、当時のイギリスって、全体的にヒドイっていうか責任逃れ王っていうか狡賢い度No.1っていうか…。
…まあ、でも彼らが「難癖」をつけたがるのは基本、日本だけなんだよね。
でも、ぶっちゃけチベットやウイグルのことを話題に出せば、「人のこと言えない」なんだけどね☆

●クリスティアン・アルベルト・テオドール・ビルロートさん「胃がんの部分を、チョキンとな♪」
(^w^)

「弘安の役」日本軍総司令官・北条実政さんとか、「鳥飼潟の戦い」で元軍に突撃する竹崎季長さんとか…。
いろいろ人物ネタがあるはずなのに、なぜか「ただのオジサン」描いちゃったクラチーです。
ついでに言うと、午年なのに馬が上手に描けないクラチーです。
自分は専門家じゃないため、とりあえず大雑把なメモ程度の記述だけ書いておきます。

「HOW TO元寇」
鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)及びその服属政権となった高麗王国によって二度に亘り行われた対日本侵攻の呼称。
別名・蒙古襲来、異賊襲来、蒙古合戦、異國合戦など。
「元寇」という呼称は、徳川光圀の「大日本史」が最初期の用例。

●一度目「文永の役(1274年)」
対馬守護代・宗資国は、80余騎で応戦するが戦死。元軍は対馬全土を制圧して島人を殺害or捕虜とした。奴婢身分となった捕虜は、戦利品として将兵の私有財として獲得したり、モンゴル王侯や将兵のあいだで献上されたりした。
博多湾に上陸すると「赤坂の戦い」「鳥飼潟の戦い」等があった。
暴風雨(いわゆる「神風」)により強制終了…と言われているが、当時は「11月」なので台風が来るのはありえないそうです。
本当は「朝鮮人が大半の元軍が、幕府軍の抵抗にビビって逃げた」だけだそうで…。

●二度目「弘安の役(1281年)」
対馬の世界村大明浦に上陸した東路軍は、日本側の激しい抵抗を受ける。郎将の康彦、康師子等が戦死。
その後、壱岐に上陸するが、壱岐の忽魯勿塔に向かう途中に暴風雨に遭い、兵士113人、水夫36人の行方不明者を出す。
その後、博多湾岸から北九州へ上陸を行おうとするも、博多湾岸の石築地(元寇防塁、高さ3メートル・幅2メートル以上)での応戦の構えにより、東路軍は博多湾岸からの上陸を断念した。
「志賀島の戦い」「壱岐島の戦い」「鷹島沖海戦」等があったが、台風上陸により強制終了。

どうでもいいかもしれませんが、「元」は「モンゴル帝国」が主の国家です。
支配者層の公用語は「モンゴル語」であり、遊牧民な性格が強い王朝です。
…個人的には、「元」って純粋な中国史ではないように思うんですよね。
だって漢人さん、この時期はいわゆる負け組…。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

歴史を振り返ればイギリスへの暴動なども起きてはいるみたいですが、今ではほとんど風化してるっぽいですね…
単純に中国が力をつけはじめてから周辺のアジア諸国に因縁をつけはじめたように見えますけども、そこらへんのところは何が本当なのかよくわかりませんよね(´・ω・`)
何にしろ政府への不満を反日を盾にかわそうとしている中国共産党はヒドイの一言ですが(^^;)

>大阪さま

中国だって、いろんな国を力などで支配してきた歴史があるんですけど…ねぇ。
「人のふり見て我がふり直せ」というか、
「無理が通れば道理が引っ込む…とは限らんぞ」というか。
なぜ人間は他人の悪いところばかり見るのか。
考えが違う人間とも協力しようと思わないのか…。
(;¬_¬)
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