宗教には罪はない

とあるネットニュースを見て、Twitterで呟いたことを、コチラでも。

●ウィリアム・ジェームズさん「ある対象に関して我々の思考に完全な明晰さを得るには、その対象が持っている実用的な種類の認識できる効果をのみ考える必要があるぞ。」
(゜⊿゜)

今、Twitterにて、任天堂アプリ「Miitomo」のフォト機能を使って、インド旅行の感想ツイートを書いているんですよ。
…が、その矢先に「ヒンドゥー教の慣習で隔離されていた、生理中のネパール女性死亡」ってネットニュースを見つけてしまって、すっごい鬱になったんですよね。
(インドはヒンドゥー教徒が最も多い国)
その記事に書かれている「何でこんな宗教を信じるヤツいるの?」みたいな勘違いコメントの多さで、さらに鬱でさ…。
悪いのは宗教じゃないのにさ。

全ての宗教に言えることだけど、宗教って「信仰している地域」「人物の身分や職業」「宗派」等によって、全く違うモノになるのよ。(キリスト教のカトリック・プロテスタントみたいな)
そもそも、そのヒンドゥー教の習慣「チャウパディ」は、ネパールで「禁止されている慣習」って明記されているのよ。
それなのに、「全てのヒンドゥー教徒が、そういう差別をしている」みたいな批判コメントが多くってさ…。
本当にそうだったら、インドなんて国、とっくに破滅してるよ。

はっきり言ってこういう記事、ただの宗教差別だよね。
ヒンドゥー教のネガキャンだよ、ネガキャン。
差別をしているのは宗教じゃなくて「禁止されていることを今も続けている人間」なのにさ。
仏教徒やキリスト教徒だって、性別や肌の色で差別するじゃん。
でも、全ての人がそういう差別をしている訳じゃないじゃん?
それなのに、特定の誰かが犯罪や差別に近い行動をしたときだけ「●●が~」って騒ぐのオカシイよね。
「ネパールで差別による事件があった」ってだけでいいのに、いちいち「宗教の慣習で~」って明記する意味がわからない。
何か「白人が黒人を~/黒人が白人を~」「イスラム教徒がテロを~」「日本兵が慰安婦を~」とかと同じ、特定の何かを攻撃or仲を悪くするための印象操作の類に見えて仕方なかったんですよ。

私は、宗教そのものは興味ないけど、それに関する神様とか人物の逸話とかを知るのは好きなんですよ。
神話や逸話って、考察の仕方や見方によって「その周辺の国の歴史」を知るキッカケになるんですよ。
一見ただの創作小説のように感じても、その時代の情勢に関するヒントや出来事が隠れているんですよ。
他国の宗教を否定するということは、そこに含まれている「国・人物の歴史」も否定することに繋がるんですよ。

宗教の内容に、ある程度の差別や変な慣習が含まれていることは、紛れもない事実です。
しかし、だからといって、宗教を信仰している全ての人間が、他人の命を奪う程の行為をしている訳ではありません。

犯罪や戦争を認めている宗教なんてありません。
「ある」と言う人は、宗教の一文を自分にとって都合の良いように解釈して、「神様がそう言っているから」と自分の犯罪行為を合理化しているだけです。
そういう人物にこそ、いずれ神様からの真の罰が訪れるんですよね…。

※携帯・スマホ版から見ている人へ
・イラスト置き場pixiv
人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログへブログランキング人気ブログをblogramで分析
スポンサーサイト

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

訪問者
管理人
最近の暴走
コメント
感想・追加雑学、いろいろありがとうございます!
トラックバック
過去の暴走
ジャンル別
ランキング
よかったらポチリと。  人気ブログランキングへ
記事検索
異次元な記事へワープ
リンク
当ブログはリンク自由です。
ブロとも申請
歴史ブログじゃなくてもOK

この人とブロともになる

RSSリンク
QRコード
QRコード